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2017.05.23

[75]教育は不平等である

またまた物議を醸すタイトルをつけてしまった。これだけ無茶をしているブログだが、理事長からお叱りを受けたことはナイ。理事長はよっぽど器が広いのか、忍耐強いのかどちらかだ。
いきなり脱線したが、脱線ついでに「物議を醸す」を「物議を呼ぶ」と誤って覚えている人があるそうだ。もし「物議を呼ぶではナイの?」と思った人は記憶を修正しよう。
先に断るが「教育に差別がある」ではナイ。「平等ではダメだ」ということだ。
具体的な例を挙げよう。
生徒Aさんは、分からない問題があるので先生に質問し、教えてもらって理解できた。一方、生徒Bさんも同じ問題を質問した。先生は同じ教え方をしたが、Bさんは理解できなかった。
ここで先生はどうするか。言うまでもなくBさんに理解してもらうべくさらに指導する。同じことを繰り返して言う、表現を変える、はたまた違うやり方を教える、基礎に戻ってやり直してから本題へ戻る、などいろいろあるだろう。
ここでAさんが「私はそこまで指導を受けていないので不平等です」と言うか。私がAさんの立場なら恐らく言わない。自分は理解できているのだから、わざわざ分かっていることを何度も聞く必要はナイ、と思うからだ。
逆に画一的に教えていて、片やもう分かっていて退屈、片や全然分からない、という生徒が混在している状況の方が非効率ではないか。関ゼミは少人数でやっているのだからできるだけ退屈と分からないの混在を避ける努力をすべきであろう。
この例のように、全部平等、などというのは却ってダメな場合もある(全部とは言わない)。
私がひとりひとりを教えて回る場合は順番を決めてなるべくそれを崩さないように指導するようにしている(きれいに守れているわけではナイが)。同じ人ばかり指導していて自分のところには全然回ってこない、などと言われるとこれは不平等以上に苦情モンである。しかし、個々の指導にかける時間はバラツキがあるのが正直なところだ。それをきれいに揃えるのは少なくとも私には無理な話だ。
そういう観点で見ると私の指導は「不平等」である。しかしこれではダメだとは思わない。効率よく教えることも限られた時間を有効に使う作戦なのだ。
できるだけ良い指導を心がけているが、残念ながら理想に現実が追い付いていない。ただ、今後も向上を目指す努力は怠らないようにしたい。
最後までお読みくださりありがとうございます。
(I)

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