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2018.10.16

[195]死は分かるのか

皆さんは身近な人を亡くしてしまった、ということはあるだろうか?

大人の方がお読みであればそういうつらい経験があるだろう。生徒の皆さんの中にはまだそういうことがナイかもしれない。

ん?[189]形見の品と同じ書き出しだ。さてはサボっているのか?いや違う。

[155]たいせつなひとで述べた、今年2月と5月に亡くした叔父の話である。

まず、2月に亡くした叔父の話から。
私は日曜日に見舞いに行く予定だったが、前日の土曜日の夕方に息を引き取ってしまった。実は私の両親がこの土曜日の昼に見舞いに行ったようだが、叔父はもうこちらの呼びかけにほとんど反応しなくなっていた。ところが帰り際に満面の笑みを浮かべたそうだ。それを見た私の叔父の妻(私の叔母)は「珍しいこともある」と言ったそうだ。

続いて5月に亡くした叔父の話。
早朝に病院からこの叔父の息子(私の従兄弟)に危篤の電話が入り、できる限り家族親戚筋の人を集めるよう指示がある。この従兄弟は車で病院に向かったが、私の母(この叔父の妹にあたる)は電車・バスが動くのを待って動くことに。そのときの従兄弟の話だが、普段細い目をした叔父が大きく目を開いたそうだ。「珍しいこともある」と思ったようだが、その後、瞼が落ちて、その瞼が再び上がることはなかった。

これとは違うが、祖母(母の母)が亡くなった時の話も。
亡くなる数日前に祖母が道端で蓬を摘んでいたそうだ。近所の人いわく「娘が帰ってくる」と言いながら。この家は坂の上にあって、この坂を下りないとどこへも行けない。晩年は足腰の弱い祖母がその坂を下りてまで行動することなどまったくなかったのに、蓬を摘むべく坂を下りていたのだ。近所の人は「珍しいこともある」と思っていたようだ。「娘が帰ってくる」。親が死んだら帰ってくるのは当然だ。

この3つに共通することは「普段と違う行動がある」ということだ。

人間だれもがそうだが、いつ死ぬかは分からない。しかし、死ぬ直前になれば、自分は死んでしまうということが分かるのであろうか。

ちなみに私も死の世界に足を踏み入れる寸前まで追い込まれたが、死ぬ告知?はなかった。だから、生きて帰れたのであろうか。

最後までお読みくださりありがとうございます。
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